平泉 「高館義経堂」 源義経公はイケメンの武将でした。
2018/09/18 8時51分
芭蕉の句碑の反対側に進むと、いよいよ義経堂が見えてきます。
意外に小さくてこじんまりとしていました。
義経堂は天和3年(1683)、仙台藩主第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てたものです。
伊達綱村公も義経ファンだったみたいです。
お堂の中の義経公は凛々しい顔立ちでした。
ガラスで木造を保存しているようです。
光がガラスに反射してよく撮影出来ませんでした。
日本には京都市左京区の鞍馬寺境内にも別の義経堂があります。
お堂の傍に義経公のお墓、宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。
義経公の首は見聞のあと川に遺棄されたそうで鎌倉にはお墓が無いそうです。
宝篋印塔は昭和61年、義経公主従最期の地であるこの高館に、藤原秀衡公、源義経公、武蔵坊弁慶八百年の御遠忌を期して、供養のために塔が造立されました。
帰りに義経堂の近くにある展示館に入りました。
藤原氏と源氏の系図などが展示されていました。
義経公のお墓参りを済ませて、知恵の待つ愛車に戻りました。次の目的地に移動です。
初投稿 2018/10/11(木) 午前 7:08
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