まぁ坊の気ままな旅日記

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「松ヶ岡開墾場」酒井忠勝の仮御殿、松ヶ岡本陣です。(^_^)/

2019年10月03日(木)10時21分
国指定遺跡、松ヶ岡本陣の看板がありました。

この日は公開日、早速拝見させていただきます。(^_^)/

松ヶ岡本陣の門柱。

本陣向かいに小高い丘の公園です。

農業構造改善事業竣工記念の碑。

ここは経塚山。

庄内藩第3代酒井忠勝が1622(元和8)年庄内入部の際、居城鶴岡城の整備のため仮殿「高畑御殿」を建てました。

1686(貞享3)年、この高畑御殿の1棟を藤島下町(現鶴岡市西川原ー旧藤島町)に移し、藩主が江戸往復の際の「御茶屋」または「藤島本陣」と称し休憩所として用いられました。これを1872(明治5)年松ヶ岡開墾創業に際して再移築し、「松ヶ岡本陣」(管理事務所)となりました。
 国指定史跡松ヶ岡本陣として3ヶ年かけた修復保存工事が行われておりましたが、平成13年4月竣工いたしました。現在松ヶ岡開墾場(松ヶ岡農場)が運営しており、一般公開されております。

蚕業稲荷神社です。


山の頂上から本陣を眺めて見ます。

藁葺の屋根、一部修復の中のようでした。



庄内藩第3代酒井忠勝が住んでいたと言う「高畑御殿」の探検です。

本陣の主、酒井 忠勝(さかい ただかつ)は、江戸時代初期の大名です。
文禄3年(1594年)、酒井家次の長男として生まれます。
酒井家次の母は徳川家康の叔母碓井姫です。忠勝の父家次は家康の従弟
にあたり、 忠勝も徳川家の親戚になります。
元服した際には主君徳川秀忠より偏諱を拝領し、忠勝と名乗ります。
越後高田藩主、信濃松代藩主を経て、出羽庄内藩の初代藩主となりました。

出羽庄内藩は元々伊達正宗の生母の実家、最上家の領地でしたが
最上家がお家騒動で取り潰し、その後、酒井忠勝が庄内入りです。
この時からか庄内酒井家は幕政には参加せず東北大名家の監視役となります。

受付の男性職員に入館料100円を支払いパンフレットと入館券を貰います。
ネットで調べると以前は200円だったらしいです。

庄内藩酒井家の居城、鶴ヶ岡城はもうありません。酒井家が実際に使用していた現存する建物、仮住まいの建物ですが歴史的価値は大だと思います。
以前、庄内藩酒井家の子孫の方が書いていたブログを拝見した覚えがあります。

上皇陛下もご訪問されていたようです。


小藩ながら大名家の仮御殿ですが、わりと質素な感じがします。




開墾の指導に西郷さんが尽力されているようです。
西南戦争では庄内藩の義勇兵が西郷さんと一緒に戦ったと聞いた覚えがあります。

鶴ヶ岡城拡張工事完成後は移転され歴代の藩主達が参勤交代の途中に使用した仮御殿です。

鶴ヶ岡城大手門の写真です。




松ヶ岡開墾50年記念の写真、庄内藩の武士たちの記念の写真でしょうか。








本陣を出て歩道のマンホールの蓋を( -_[◎]oパチリ

知恵の待つマッシュに戻ります。

駐車場入り口に開墾の藩士達が使用した住宅も展示されていました。
本陣と比べてもそんなに見劣りしない住宅でした。




2019/11/10
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