「新発田城」白鷺と鴨たちが寛いでいましたよ。(^_^)/
2019/10/10「新発田城」白鷺と鴨たちが寛いでいましたよ。(^_^)/
新発田城は、別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)
侯が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成します。
新発田城は平城。石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」
と呼ばれる美観を重視した技法でつくられ、
北国の城特有の海鼠壁は全国的にも珍しいものです。
新発田城はかつて本丸、二の丸、三の丸からなり、堀や石垣に囲まれ、
新発田川の水を巡らせた平城で、11棟の櫓と5棟の門がありました。
特に、天守閣の代わりを果たしていたのが三階櫓です。
3匹の鯱を配するという独特の櫓で、全国にも例がない大変珍しいものです。
平成16年には、この三階櫓、辰巳櫓が復元されました。
三階櫓、承応3年(1654年)に創建、寛文8年(1668年)の火災で焼失、
現在復元されている姿の元は延宝7年(1679年)に再建されたものです。
2019年10月10日(木)14時36分
いよいよ新発田城に登城です。(^_^)/
白鷺さん達がまだいました。
「二の丸隅櫓」です。
層塔型2重2階の移築現存の二重櫓。1668年の大火後の建築。
現在は、本丸鉄砲櫓の跡に移築されている。国の重要文化財。
春、満開の桜、素晴らしい景色と想像できます。
春に立ち寄りたいです。(^_^)/
鴨と白鷺がいます。
カメラのズームオンです。
城の表門前に、堀部安兵衛の像があります。
像の下には堀部安兵衛武庸(ほりべ たけつね)と書かれています。
元禄忠臣蔵で有名な武士、ここの出身でした。
像の顔は、しっかりと江戸を見つめていました。
「義士親善友好都市交流会議 忠臣蔵サミット」
どんな会議か気になりますね。(^-^)
調べてみると
【忠臣蔵サミットとは】
平成元年,兵庫県赤穂市が「忠臣蔵ゆかりの地等」の所在する全国の自治体に呼びかけ,「義士親善友好都市交流会議(忠臣蔵サミット)」が創設されました。現在,同サミットには全国32の自治体が名を連ねており,毎年1回加盟自治体の持ち回りにより,「忠臣蔵サミット」が開催されています。
向かいに大手門が見えます。
忠臣蔵記念碑
本丸辰巳櫓
本丸の南東に建つ層塔型2重2階の二重櫓。三階櫓とともに木造で復元。
(木造復元・2004年(平成16年) 再)
この近辺にも駐車場があるようです。
新発田城 旧二の丸隅櫓 (しばたじょう きゅうにのまるすみやぐら )
新潟県(北陸)
層塔型2重2階の移築現存の二重櫓。
1668年の大火後の建築。現在は、本丸鉄砲櫓の跡に移築されている。国の重要文化財。
江戸中期/1661-1750
国宝指定年月日:
別名 菖蒲城・舟形城
城郭構造 平城
天守構造 御三階櫓複合式層塔型3重3階(1679年(延宝7年) 再・非現存)
(木造復元・2004年(平成16年) 再)
築城主 (新発田氏)
築城年 不明
主な改修者 溝口秀勝
主な城主 新発田氏 溝口氏
廃城年 1873年(明治6年)
遺構 櫓・長屋・門、石垣、土塁、堀
指定文化財 国の重要文化財(表門、二の丸隅櫓)
再建造物
三階櫓、辰巳櫓
位置 北緯37度57分19.68秒 東経139度19分31.47秒
三階櫓天守はなく、本丸の北西隅に三重櫓を上げて「三階櫓」と呼んでいた。幕府に遠慮し天守を公称しなかったが、三階櫓は新発田城における実質的な天守であった。承応3年(1654年)に創建されたものは、寛文8年(1668年)の火災により焼失し、現在復元されている姿のものは延宝7年(1679年)に再建されたものである。明治初期に撮影された写真によれば、続櫓(付櫓)を伴った複合式層塔型3重3階で、1重目の西面と南面に切妻破風を持った石落としを兼ねる出窓があり、3重目屋根の棟は丁字型に造られ、棟上には3匹の鯱が載せられている。1874年(明治7年)に破却された。本丸表門1732年に再建された現存の櫓門。2階に格子窓を設け、門の真上の床を外して石落としとする構造となっている。国の重要文化財。旧二の丸隅櫓層塔型2重2階の移築現存の二重櫓。1668年の大火後の建築。現在は、本丸鉄砲櫓の跡に移築されている。国の重要文化財。本丸辰巳櫓本丸の南東に建つ層塔型2重2階の二重櫓。三階櫓とともに木造で復元された。
現地情報
新潟県新発田市大手町6
JR羽越本線「新発田」駅から徒歩約20分
2.^ 吉田律人「兵営所在地の日常」、『列島中央の軍事拠点』162頁。
3.^ 『太政類典』第2編第214巻(兵制13、鎮台及諸庁設置4)「越後国新発田城ヲ廃ス」。
4.^ 『太政類典』第2編第214巻「越後国新発田城ヲ更ニ陸軍省ノ管轄トナス」。『公文録』第30巻(明治6年)「越後国新発田城管轄伺」。
5.^ 吉田律人「兵営所在地の日常」、『列島中央の軍事拠点』162 - 163頁。
6.^ 建物の腰まわり部分に平らな瓦を張り詰め、継ぎ手部分を漆喰で固める際に蒲鉾形の目地をつけた外壁仕上げのことで、耐水、防火性がある。
7.^ a b 旧新発田藩下屋敷(清水谷御殿)庭園および五十公野御茶屋庭園 - 文化遺産オンライン(文化庁)
8.^ 新発田市大栄町所在、財団法人北方文化博物館所有
9.^ 旧新発田藩足軽長屋 - 文化遺産オンライン(文化庁)
太政官『公文録』。国立公文書館デジタルアーカイブを閲覧。
太政官『太政類典』。国立公文書館デジタルアーカイブを閲覧。
吉田律人「兵営所在地の日常 新潟県新発田地域と歩兵第16連隊」、『列島中央の軍事拠点』(地域のなかの軍隊)、吉川弘文館、2014年。