「上田城跡公園(長野県・上田市)」上田城(日本百名城 二十七番)
「上田城跡公園(長野県・上田市)」上田城(日本百名城 二十七番)
上田城本丸南櫓と東虎口櫓門
上田城(うえだじょう)は長野県上田市二の丸(旧・信濃国小県郡上田)にあった日本の城で、現在残っている城は、仙石忠政によって江戸時代初期の寛永年間に再建築城されたものである。上田盆地の北部に位置し、千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたので、築城当初は「尼ヶ淵城」と呼ばれていました。信濃国小県の真田本城(真田氏館)の真田昌幸が真田氏当主であった1583年(天正11年)に築城が開始された平城です。
2021年5月8日 14時50分
長野県上田市の上田城跡公園に到着です。駐車場も運良く空いていてマッシュも楽々駐車出来ました。
上田城跡公園の訪問は今回で3度目です。妻とビッケは初めての訪問です。
愛犬知恵と一緒に遊んだ懐かしい道の駅、何度訪問しても良いものです。(^-^)
o(・ω・υ)o-------⊆^U)┬┬~...知恵とお散歩。。。
愛犬ビッケ、公園の看板で記念撮影です。( -_[◎]oパチリ
駐車場がある尼ヶ淵から上田城を望む景色です。
南櫓下の石垣についての説明がありました。
前回、訪問した時は、このあたりにお城に抜ける急な石段があったのですが
無くなっていました。(^_^;)
上田城(うえだじょう)は長野県上田市二の丸(旧・信濃国小県郡上田)にあった日本の城で、現在残っている城は、仙石忠政によって江戸時代初期の寛永年間に再建築城されたものです。
上田城本丸南櫓と東虎口櫓門に通じる小路を妻とビッケと一緒に進みました。
千本桜で有名な公園、残念ながら未だ桜の花を見る事が出来ません。
ここは上田城二の丸の堀の跡です。以前は電車も通っていたようです。
上田城は上田盆地の北部に位置し、千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたので、築城当初は「尼ヶ淵城」と呼ばれ、北に太郎山、南に千曲川があり、築城前は土豪小泉氏の古い城館が存在していたそうです。(現在、二の丸より西側の小泉曲輪と呼ばれている場所)城の南側は千曲川に接し、北側と西側に矢出沢川を引き込んで総構えとし、唯一の攻め口である東側にも蛭沢川や湿地帯などがあり難攻不落のお城でした。
ここに松平5万3千石の米蔵があったそうです。
新緑の広い公園は人も疎らで静まり返っていました。
桜の花は無いですが、白いきれいな花が咲きだしていました。
上田市立博物館には2度入場しました。今回はパスしました。
今まで上田城本丸南櫓と東虎口櫓門の写真を撮り忘れていたので撮影に行きます。
いつもは観光客で込み合っている場所も閑散としてます。
目的の撮影を終わらせて次に進みます。
妻とビッケが向こうで僕が来るのを待っています。
不動の石垣で有名な真田石です。
明治12年に本丸内に松平神社(現・真田神社)をつくり、残りの地を公園として城址(じょうし)を保存しようという声が起こります。これにより、本丸の大部分を所有していた丸山平八郎氏が、まず南側の地を神社用に、ついで明治18年に残りの地を公園用に寄付します。これが上田城の公園化への第一歩になったそうです。
本丸の跡地に建てられた真田神社です。
御朱印をお願い出来る真田神社社務所。
本丸西櫓前に真田幸村の銅像がたてられていました。
高台に上り上田の景色を眺めます。
遠くの公園駐車場のマッシュも見えました。(^_^)/
此方はまだ非公開のようです。
石段を下り駐車場に戻るとします。
西虎口の階段から駐車場に帰ります。
無事公園まで辿り着けました。咽が乾いたので公園のベンチで休んでいたら、妻が自販機のアイスを買って来たので美味しく頂きました。
σ(´~`*)ムシャムシャ
知恵との思い出の公園「上田城跡公園」を後に次の目的地に移動します。
2021年12月06日
ご訪問、ありがとうございます。<(_ _)>
追記 [壁]ω・`)チラッεεε゙(ノ´・ω・)ノタッタッタッεεεチラッ(´・ω[壁]
※2021年12月06日 更新