まぁ坊の気ままな旅日記

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国宝「久能山東照宮」見どころ満載でした。(^_^)/

2019/10/8国宝「久能山東照宮」見どころ満載でした。(^_^)/


2019年10月08日(火)
今回はお得なチケットを選択しました。
ロープウェイの往復券に博物館の料金込みで1750円でした。

チケットの裏面には東照宮を巡る聖なる三本のラインの話が印刷されています。
有名な話なのでみなさんご存知だと思います。

社務所入口に御朱印のサンプルです。もちろん頂きました。記念に御朱印帳も頼みます。

チケットの半券を渡します。戻って来ないので記念の撮影です。
ここでパンフレットをもらいます。日光は自販機のチケットだけででしたが、
久能山は気前が良いですね。( ^ω^ )

国宝、久能山東照宮、豪華です。


楼門が見えてきました。
楼門には第108代後水尾(ごみずのお)天皇の宸筆「東照大権現」の扁額が掲げてある為、「勅額御門(ちょくがくごもん)」とも言われています。

家康お手植えの家康梅です。奥には厳島神社と稲荷神社がありました。

小さな石碑がありました。調べてみると、五重塔跡の石碑です。
この地には、家光公が作らせたという高さ30mの五重塔がありましたが、
明治時代の神仏分離によって取り壊されました。

唐門前に控える有名な唐灯龍、ぶっかって壊さないように用心します。
国宝を傷つけたら一大事です、慎重に探検です。(^_^;)
見学の時も床が傷ない運動靴です。


唐門が見えます。順路に従い右に曲がり進みました。

神楽殿と書かれています。 神楽を舞うための施設のようです。

大きな家康公の肖像画です。

突然プラモです、ここは玩具屋ではないはず。
家康公はプラモの愛好家?
昔、プラモは静岡と聞いた覚えがあります。

やはりプラモの元祖は静岡でした。
家康公が崇敬されていた浅間山神社の修繕と久能山東照宮の造営のため日本各地から
腕の良い職人を集めて仕事をさせたようです。
工事が終わってもかれらの大半がこの地に残ったようです。
久能山東照宮はあらかじめ職人たちの役割分担の作業で東照宮をパーツ化して。
現地ではパーツの組み立て作業のみとして工期の短縮化を図ったようです。
プラモの発想もここから来たと推測できます。

拝殿・石の間・本殿です。
光の加減でおかしくなりました。<(_ _)>

これらは国宝に指定されています。
久能山東照宮は50年に1度塗り直しをしますが、
2006年に塗り直しが行われています。
13年後の今でも極彩色豊かな社殿の状態に驚きます。

手前の拝殿ですが、こちらは人の世界を表します。そして、奥の本殿は同様に神の世界。その2つの世界をつなぐのが真ん中の石の間ということで、この造りを一般的に「権現造り」と言って、この久能山東照宮の拝殿・石の間・本殿が発祥になります。
名前の由来も、家康公が「東照大権現」となったことから「権現造り」という名前になりました。
江戸時代奥に入れる者は将軍だけです。御三家の徳川家も立ち入る事は出来ません。

水戸黄門でおなじみの徳川光圀公も入れなかった場所、見る事も出来なかったかもです。

いよいよ階段を上り、
神君家康公のお墓参りです。((⊂(^ω^)⊃))

家康公の神廟にたどり着きました。


晴れの日に、お参りが出来て良かったですよ。((∩^Д^∩))


お墓参りの後にこんな看板がありました。
お金のなる木についての家康公の教えのようです。
人間、思いやりの精神で正直に生きろと諭しているようです。(。-_-。)

家康公の愛馬を埋めた場所です。愛馬の名前がありません。(´・_・`)
調べてみると白石(しらいし)という徳川家康の愛馬がいます。
この馬かもしれません。
名は「白」ですが毛の色は黒だったそうです。

樹齢6百50年の大蘇鉄、今川家が滅亡した頃に植えられたものです。

見どころ満載の久能山東照宮、名残惜しいですが、お別れとします。

階段を下りて博物館に向かいます。

入館料は支払い済みです。通常大人400円です。博物館内の入口でチケットを渡します。
館内は撮影禁止です。徳川家の数々品が展示されていました。



帰り際に館内で販売していた写真集(たしか2000円だと思いますが、)を買い求めますと
受付のお姉さん、喜んでいました。



家に帰り、写真集を見ながら館内の展示物を思い出すとします。(^_^;)



2019/12/9
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