まぁ坊の気ままな旅日記

ご訪問 ありがとうございます。<(_ _)>

軽キャンからピコ、マッシュに乗り換です。
節約旅行で各地の名産物を買ったりして
楽しんでいます。
宜しくお願いします(^_^)/

「羽黒山(三神合祭殿)境内」国宝羽黒山五重塔に再会です。(^_^)/

2020年10月2日(金)14時40分
羽黒山参詣道の入り口にある随神門(ずいしんもん)駐車場に到着します。
妻は初めてですが、僕は昨年に続いて2度目、ジャスト一年ぶりの訪問です。

トイレ入り口側にマッシュを停めて皆で羽黒山の冒険です。
ビッケは妻が抱っこですが、サポートグッズを (赤ちゃん用のですが、) 
装着しているので、二人は一心同体です。此処で二人ともトイレを済ませて出発です。

途中、売店に飾ってあった修業僧が着ている服と杖、笠が置かれています。
見ていて欲しいと思いました。でも今回は買わずに素通りです。
いつの日かゲットして気分は修行僧で探検ですよ。(^-^)

出羽三山神社の出発点、何度見ても美しい随神門(ずいしんもん)です。
妻とビッケが待って居てくれました。ここからが出羽三山の神域です。
僕たちは出羽三山神社参拝の旅に出かけます。

随神門を抜けると「継子坂」です。
今回、この一枚が撮りたくて来たかもしれません。
もう、妻とビッケ達は瞬く間に石段を駆け下りて見えません・・・(^_^;)

祓川神社と須賀の滝が見えます。

江戸時代に遠くの月山から水を引いて造られた須賀の滝です。

朱色の「神橋」は工事中でした。

美しいお社が続きます。

国の天然記念物の爺杉。

樹齢は千年を越え、根周り10.5m、幹囲8.25mで、
羽黒山では最大にして最古の杉です。何度見ても素晴らしいです。

今回も国宝の五重塔を拝観します。
羽黒山五重塔は平将門により承平年間(931年-938年)に建立され、
再建は武藤政氏による文中元年(1372年)と伝わっています。

平成30年に天皇陛下御在位30年、三神合祭殿再建200年を記念して、
五重塔の扉が開かれ特別拝観が行われました。
昨年、僕も運よく特別拝観が出来て感動しました。

前回開かれたのは約150年前とのこと。そして同じ時期に、山頂の出羽三山神社
では秘仏が初公開されたのです。昨年ここで引き返したため見れませんでした・・・

昨年は特別拝観のため工事用のビデが建物下回りを囲んでいたり、
観光客も沢山いて、なかなか思った写真が撮れませんでしたが、
今回は工事のビデも無く。コロナのせいか人も疎らで助かります。

子守神社(こもりじんじゃ)です。

水分神は本来は水の配分を司どる水神ですがが、「みくまり」が訛って「みこもり(御子守)」となり、子守神ともみなされるようにななりました。総本社は吉野水分神社(奈良県吉野町)です。日本神話では、神産みの段でハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ両神の子として天水分神(あめのみくまりのかみ)・国水分神(くにのみくまりのかみ)が登場します。

五重塔を出て参道に戻ると右側に西条八十歌碑がありました。


五十路の夏にわけのぼる 羽黒の峰の梅雨雲や また見んことのあるやなしやと ふり返


りゆく山つゝじ」と刻まれています。


説明板に「昭和二十四年六月八日 古賀政男と羽黒に詣で 奉拝帳に誌した一節」、
とありました。

天満神社と保食神社と書かれていました。

一の坂を登ります。両側に並ぶ杉並木ですが、参道の両側合計で約600本あるそうです。

江戸時代の慶長から寛永(1596年-1643年)にかけて植樹されたものです。

一の坂、なかなかキツイです。後ろを振り返ってみます。

女夫杉(めおとすぎ)

夫婦仲睦まじく伸びています。最近、熟年離婚が多いそうです。
夫婦、いつまでも仲良くいれますようにと願います。

草がじゃまして湯殿山は拝めませんでした。

途中、小さな神社様のところで一休みです。

ピントズレで恐縮ですが、葉山祇神社(はやまづみじんじゃ)です。

段々、石段上るのがキツイです。妻達は遥か遠くのようです・・・
ここは二の坂(油こぼし)です。坂の勾配半端でなかったです。
ただ、石段が乾燥していて足元が滑りにくくなって良かったです。

日が暮れて来ます。ふと周りを見回すと誰もいません・・・・



ご訪問、ありがとうございます。<(_ _)>

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