まぁ坊の気ままな旅日記

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平泉「高館義経堂・芭蕉の句碑」悲運の武将・源義経公終篤の地です。(っω・`。)

[2020マッシュ秋旅]2020/10/5 岩手県・西磐井郡平泉町
平泉「高館義経堂・芭蕉の句碑」悲運の武将、源の義経公終篤の地です。(っω・`。)


2020年10月5日(月曜)
町営中尊寺第1駐車場を出て県道330号で道の駅平泉方向に進み踏切で右折します。

道路工事中でしたので作業員の指示に従って進むと、
高館義経堂(たかだちぎけいどう)の看板がありました。
小規模ですが専用の高館義経堂駐車場があります。

閑静な住宅街なので少し違和感があります。
義経堂専用駐車場、来るたびに拡張、整備されている気がします。

僕は今回で3度目の訪問、妻とビッケは初めてです。
駐車場から歩いて入口までは階段もあり、5分ほどです。

義経公や芭蕉が通った坂道を、僕達ものぼります。

高舘義経堂には毛越寺の拝観券発行場があります。

ここで入山券の代金200円を二人分払い単独の御朱印をお願いします。

お金を納めてチケットをもらいました。
右が新しいチケットで左の青い券は2017年の秋旅で貰ったものです。
新しい入山券、凛々しい源義経公が描かれてカッコいいですね。
しかも、料金も据え置きでした。いよいよ来年の一日から値上げのようです。
義経公の200円チケット、プレミアがつくかもしれませんね。(ないか・・(^_^;))

パンフレットも貰いましたが、前回と同じものでした。

夕日の高舘からの景色も良さそうです。

坂を上がりきると分かれ道の看板です。義経堂は後にして芭蕉の句碑に行きます。

久しぶりの光景、妻も感動ものでした。何度見てもナイスな景色です。

芭蕉さんもこの景色を見て感動したかもしれません。

あの有名な句が生まれたんです。

夏草や 兵共が 夢の跡

三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。・・・・・

「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠打敷て時のうつるまで
泪を落し待りぬ。

記念の石碑に彫り込まれた芭蕉の句を詠んでその意味を想うと、
この地は義経公が身を寄せていた「衣川館」があった場所で、
この地で義経公が妻子とともに悲しい最期を迎えました。
武蔵坊弁慶の最期「弁慶の立ち往生」の伝説などもあります。


芭蕉の句碑の反対側に進むと、いよいよ義経堂が見えてきます。
意外に小さくてこじんまりとしていました。

義経堂は天和3年(1683)、仙台藩主第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てたものです。

伊達綱村公も義経ファンだったみたいで、お堂の中の義経公は凛々しい顔立ちでした。
ガラスで義経公を保存しているようです。

光がガラスに反射してよく撮影出来ませんでした。
日本には京都市左京区の鞍馬寺境内にも別の義経堂があります。

お堂の傍に義経公のお墓、宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。
義経公の首は見聞のあと川に遺棄されたそうで鎌倉にはお墓が無いそうです。
宝篋印塔は昭和61年、義経公主従最期の地であるこの高館に、藤原秀衡公、
源義経公、武蔵坊弁慶八百年の御遠忌を期して、供養のために塔が造立されました。

帰りに義経堂の近くにある資料館に入りました。

藤原氏と源氏の系図などが展示されていました。

奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)は、前九年の役・後三年の役の後の寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年)までの間、陸奥(後の陸中国)平泉を中心に出羽を含む東北地方一帯に勢力を張った藤原北家の支流の豪族。藤原北家秀郷流を称したました。

義経公のお墓参りを済ませて拝観券発行場に戻り御朱印を受け取りました。

高館義経堂、妻にも喜んでもらえて良かったです。
さあ、いよいよ次の目的地に移動です。((⊂(^ω^)⊃))


ご訪問ありがとうございます。<(_ _)>




中尊寺所蔵の義経像

源 義経
(みなもと の よしつね、源義經)は、平安時代末期の武将。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝は異母兄。仮名は九郎、実名は義經(義経)。河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる)。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられる、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷・屋島・壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼした最大の功労者。その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によって怒りを買い、このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされる。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼った。しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ、現在の岩手県平泉町にある衣川館で自刃。その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉を始め、多くの伝説、物語を生んだ。


高 館
高館は北上川に面した丘陵で、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれています。現在では、その半ばを北上川に浸蝕され狭くなっていますが、この一帯は奥州藤原氏初代清衡公の時代から、要害地とされていました。兄・頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち延びた源義経公は、藤原氏三代秀衡公の庇護のもと、この高館に居館を与えられました。地元で判官館と呼ばれているのは、義経が判官の位にあったことに由来します。
しかし、文治5年(1189)閏4月30日、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡公の子・泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝えられています。
丘の頂上には、天和3年(1683)、仙台藩主第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てた義経堂があり、中には義経公の木造が安置されています。高館からの眺望は平泉随一といわれ、俳人・松尾芭蕉が俳句を詠んだ場所でもあります。東にはとうとうと流れる北上川、束稲山(別名・東山)の眺望が広がります。また西からは、かつてその流域が前九年・後三年の役の戦いの場となり、弁慶立往生の故事でも知られる衣川が北上川に合流しています。
現在の義経堂および高館は、同町毛越寺の飛び地境内となっています。


拝観料 2020年12月現在
個人           団体
           30人以上 100人以上
大人 200円       180円   160円
小・中学生 50円     45円    40円
お問い合わせ先
高館義経堂
〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所14
TEL:0191-46-3300
毛越寺
〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58
TEL:0191-46-2331

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