「羽黒山(三神合祭殿)境内」蜂子皇子のお墓です。(^_^)/
2020/10/3「羽黒山(三神合祭殿)境内」蜂子皇子のお墓です。(^_^)/
2020年10月3日(土)8時55分
出羽三山神社三神郷祭殿に戻り、お土産屋さんが開いていたので見学です。
見学が終わると社務所受付で御朱印をいただきました。
コロナ対策で御朱印帳には、いただけませんでした。
出羽三山神社の御朱印
蜂子神社の御朱印
羽黒山東照宮の御朱印
天宥社の御朱印
御朱印をリュックに入れて次の目的地に移動です。
広い神社境内をあちらこちら移動しながらようやく
蜂子皇子のお墓をようやく探し当てました。(^_^;)
職員らしき一人の男性が道の掃除をしているようです。
男性の近くに行き蜂子皇子のお墓の見学の許可を無事とります。
看板に宮内庁の文字があります。(^_^;)
門にも菊の御紋があります。扉の錆が痛々しい感じがしました・・・・(^_^;)
蜂子皇子は崇峻天皇の第一皇子、聖徳太子の従兄弟です。出羽三山の開祖で、能除大師や弘海などの異名を持っています。
この地のお墓は、東北地方では宮内庁が管理するただ一ヶ所の御陵です。
蜂子皇子御尊影 左下は金剛童子、右下は除魔童子
蜂子皇子
続柄 崇峻天皇第三皇子
出生 欽明天皇23年(562年)
死去 舒明天皇13年10月20日(641年11月28日)
父親 崇峻天皇
母親 大伴小手子
欽明天皇23年(562年)に崇峻天皇の第三皇子として誕生したと伝わる。崇峻天皇5年(592年)11月3日に、蜂子皇子の父である崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺されたため、馬子から逃れるべく蜂子皇子は聖徳太子によって匿われ宮中を脱出して丹後国由良(現在の京都府宮津市由良)から海を船で北へと向った。そして、現在の山形県鶴岡市由良にたどり着いた時、八乙女浦にある舞台岩と呼ばれる岩の上で、八人の乙女が笛の音に合わせて神楽を舞っているのを見て、皇子はその美しさにひかれて、近くの海岸に上陸した。八乙女浦という地名は、その時の八人の乙女に由来する。蜂子皇子はこの後、海岸から三本足の烏(ヤタガラスか?)に導かれて、羽黒山に登り羽黒権現を感得し、出羽三山を開いたと言われている。
羽黒では、人々の面倒をよく見て、人々の多くの苦悩を取り除いた事から、能除仙(のうじょせん)や能除大師、能除太子(のうじょたいし)などと呼ばれる様になった。現在に残されている肖像画では怪異な容貌に描かれたものが多いが、多くの人の悩みを聞いた結果そのような顔になったとも言われている。出羽三山神社にある皇子の墓(東北地方で唯一の皇族の墓)は、現在も宮内庁によって管理されている。wik 概説
さあ下りのターンです。転ばないように注意して帰ります。
登りに専念して撮影出来なかったので。( -_[◎]oパチリ
八幡神社を ( -_[◎]oパチリ
妻は下るのも速いです。(^_^;)
田屋村杉 文政年間(1818~29) の看板です。
江戸時代に1000本植えたそうです。凄いですね。
巨大な杉並木を見ながら下ります。
消火栓と看板です。
熊が徘徊している場所です。前日、妻はここでUターンしました。
これだけ人が多ければ熊も出て来れないと思います。(^_^)
急な石段を転ばないように慎重に下ります。
下に行く程だんだん滑りやすくなります。(;^。^A アセアセ・・
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