まあ坊の気ままな旅日記

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軽キャンからピコ、マッシュに乗り換です。
節約旅行で各地の名産物を買ったりして
楽しんでいます。最近のガソリン高騰
今年の秋旅は自作の軽キャンです(^_^)/

松村 親賢 「十勝開拓の父 鈴木銃太郎の祖父」

Wikにまだ松村 親賢が載って無いので自分なりに纏めてみました。
まだ未完成ですが ( ̄ー ̄; ヒヤリ


松村次郎太夫親賢
「まつむら じろう たゆう ちかかた、天明8年(1788年)- 天保10年(1839年) 以降。」
は、藤井松平側室家松村家の出自。太夫の名称の意味は、本来朝廷の五位の通称です。
これらから推定して松村 親賢は藤井松平の親族の一員と推定。


主君 松平忠学 
信濃上田藩の第5代藩主。 文化9年(1812年)5月6日、養父・忠済の隠居により
家督を相続し、従五位下・伊賀守に叙位・任官する。


主家 藤井松平家と松村家の接点
松平 忠愛「(まつだいら ただざね)信濃上田藩の第2代藩主。伊賀守系藤井松平家4代。」 の時の側室に松村氏の名前が登場。
松平忠愛公の正室の本多氏正室(本多忠能の娘・蓮球院)は、どうやら入嫁前に亡くなったようで、そのため忠愛は生涯継室を迎えなかったと言う。ただし側室は15人おり、27人の子女を儲けたと言う。
徳川11代将軍家斉公の先駆けの人物。


「資料」 天保10年(1839年)上田藩士 分限帳 に松村次郎太夫の名簿を確認。



13人 松村次郎太夫(51歳)   宗吽寺


松村家の菩提寺 宗吽寺(そううんじ)は上田藩主の祈願寺となり、
松平氏の参勤交代の折りには、江戸への出立の吉日をこの寺が選んだといわれています。


海堂山「宗吽寺」は真言宗で紀伊高野山の末寺です。もともとは上田城の堀近くにあったものを上田城築城の時にここに移したといわれています。開山は什慶といわれ、中興は慶英といわれています。  長野県上田市中央2-14-6


・武士の給与 
 江戸時代の武士の給与には、石、俵、人扶持、両の単位をもって与えられたが、 基本的には、金給の両に換金される。そして全て年俸である。
それぞれの単位を換算すると次の様になる。


一人扶持=1.75石 (一人扶持は、一日五合の一年分で一石七斗五升。使用人二人分支給される。)
一俵=0.35石
一両=0.83石=約16万円
一石=1.2両=約19万2千円(現代円に換算)
例:十人扶持は17.5石(21両)となる。


上田市立博物館発行 ”上田藩の人物と文化”より
http://www.avis.ne.jp/~ammonite/kashin.htm


松村家は13人扶、禄高は低い方です。一族は質素な生活をしていたと推測します。


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