まぁ坊の気ままな旅日記

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私が車中泊に嵌ったわけ その2  2018

私が車中泊に嵌ったわけ その2  2018


遠方に嫁いで行った義理の妹は二人の子供出産


二人とも自閉症の障害を持った子供でした


夫の仕事は遠方なので大半は妹は一人で子育てです


家では近所に居る夫の失明した高齢の叔母の世話


田舎に嫁ぐのなら せめて 免許取らせて


中古の軽自動車持たせたかったのですが


向こうでとらせてくれると言う言葉信じて嫁に行き


とうとう免許取れずじまい


嫁いだ当初は夫のお父さん(田舎には珍しく妹に良くしてくれた良いお父さん)


同居していて 良く働いて 家計助けてくれたそうです


そんな 良いお父さんも高齢には勝てず リタイア


生活はなかなか苦しかったそうです


妹もド田舎に嫁いだため パート も無く 農家さんのお手伝い位


報酬は野菜やお米生活は苦しかったそうです


予感したとうり 幸せの結婚とは程遠い毎日だったらしいです


その妹も  苦労して育てた子供達の進路も無事決まりかけた矢先


原因不明の病


大学病院で検査しても不明 視力はだんだん落ちていき


楽しみのテレビも 見えない体になりました。


以前から生活苦しそうだったので テレビやビデオデッキ 好きな番組録画したテープ


定期的に送っていました たいそう喜んでもらえました


遠くすぎるため このくらいしか出来ることがありません


近くに居たらみんなで会いに行けたのに 後悔していました


いよいよ 妹も限界かと夫婦で心配していた矢先


頼りにしていたお父さんが急死・・・


妹を助けなくてはと思い空き家確保して向かいに行く準備していた矢先


自宅に電話


妹の家から妹が死亡との連絡の電話


その時我が家にはホンダの軽の商用車一台だけ


父がミニバン貸すからすぐに行けと言われました


母に旅費も出してもらいました


その時我が家は ちょうど銀行のローン一括返済したため 無一文状態


ミニバンより軽自動車の箱バンの方が手荷物はいると思い


妻と私 妻の母と姉 愛犬3匹詰め込んで 妹の家に向かいました


ナビもまだ持っていなかったので地図片手に夫婦で交代しながらのロングドライブ


途中船にも乗らないと行けない僻地です。


何とか火葬する前に妹の顔が見たいと思い 体震わせながら運転したのを覚えています


日が沈み 途中道の駅で休憩 食事 犬の世話


初めての事だらけ 軽自動車に4人と3匹の旅はつらかったです


適度に休憩して 妹の家に連絡すると 義理のお父さんの死亡から続いたので


警察の取り調べもあったようで 遺体の引き渡しも延びると言う事で


何とか会いたい一心で夜明けのドライブ 


それでも事故起こして死んだら残っている家族に迷惑かかると思い安全運転です。


二日目の夕方無事船に乗れました 多少波がありましたが運行出来ました


その日の夕方上陸 ある程度車走らせて 道の駅で休憩


妹の家と連絡取り合って 無事 妹に会えました


妹の旦那も 警察の聞き取り済ませて 無事お通夜に間に合いました


子供達も元気にいます 下の男の子は やはり母の死に直面して茫然としてる様子


まだ中学生です 辛かったと思います 


二人の子供たちは そのご いい施設の学校と職場に行ったそうです


いまでも二人は母の住んでいた家に帰りたがっているそうです


二人とも妻の実の姪と甥です


妹が生きていた時には 年末になると必ず子供の喜びそうな手帳を買って二人に送っていました。


しかし妻には、あの時嫁に出さなければ 妹は40で失明して死ぬことはなかったはずと悔やんでいるようす


葬儀委員の方から葬儀の進行とか聞いて こちらの負担分お金や花代すべて支払い


お坊さんも無事到着 お通夜も無事終わりました。


ところが 大型の台風が接近 このまま明日の葬式に出ると帰れなくなる


私だけ帰るので 3人は葬式済ませてからバスと船か飛行機で帰ってきたら聞いたら


みんな抜けられない用事があり 泣く泣く 妹の家後にして フエリーターミナル


何とか船時間に間に合い無事帰宅できました


しかし妻のお母さんには相当ショックだったらしいです。


義母の異変がこの時起きだしていた事を私達夫婦は知る由もありませんでした



僕はこの時から車中泊に嵌りました


亡き妹が毎日歩いていた道。秋旅では僕がお墓まいりで歩いて来ました。

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