まぁ坊の気ままな旅日記

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世界遺産・中尊寺(2023)「月見坂・八幡堂(岩手県・平泉町)」源頼義(鎮守府将軍)子の源義家(八幡太郎)が戦勝祈願

、今年も残すところあとわずかになりました。今年は北海道の道の駅を完全制覇する目標を立てて、春から秋までの間に実行。無事、無事故、無違反で達成出来ました。ブログの更新が遅れたことをお詫びします。<(_ _)>


今年も沢山の読者さんに書いた記事が読まれて大変ありがたいです。
みなさん 今年も一年 僕のブログに来てくれてありがとうです。 (*^ω^*)ノ


[2023マッシュ秋旅]2023年10月07日
世界遺産・中尊寺(2023)「月見坂・八幡堂(岩手県・平泉町)」
源頼義(鎮守府将軍)子の源義家(八幡太郎)が戦勝祈願

月 見 坂 ・八 幡 堂
(平 泉)
世界遺産、中尊寺内にある月見坂・八幡堂(平泉)の創建は天喜5年(1057)当時鎮守府将軍であった源頼義と子の義家が俘囚の長である安倍氏を討つ(前九年合戦)為、この地(中尊寺境内月見坂)で戦勝祈願した事が始まりとされます。鎌倉時代の歴史資料である「吾妻鏡」では中尊寺の年中行事の中で八幡神社で法会が行われた事が書かれています。明治初頭に発令された神仏分離令により、八幡神社から八幡堂となり本尊を阿弥陀如来尊像としています。
2023-10-07・03[2022マッシュ秋旅]


2023年10月07日 11時40分
「道の駅平泉」のガイドセンターを出て、5分程走ると目的地の平泉町営中尊寺第1駐車場に到着しました。昨年の訪問とは違って駐車場が激混みです。暫らく順番待ちで入れました。

料金所の窓口で1日400円の駐車料金を支払うと、レシートと地図を渡されます。

駐車場の各車の駐車料金が書かれた大きな看板があります。
我が家のマッシュは普通・軽自動車料金の400円です。

駐車場の誘導員の方が気を遣ってくれたのか、
24時間トイレ横の広々ペースに停めれました。彼に感謝です。


此れから平泉のリベンジ―撮影です。昨年の秋旅で撮り忘れた場所を歩く予定です。


駐車場入口交差点に名物、金色堂のミニチュアがあり、
周りを綺麗な花達が囲んでいてナイスです。(^_^)/


中尊寺は岩手県西磐井郡平泉町にあり、奥州藤原氏ゆかりの寺です。「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の構成資産のひとつとして、世界遺産に登録されました。現在中尊寺は天台宗の寺で、比叡山延暦寺より不滅の法灯を分灯されています。


月見坂を登ります。中尊寺は標高130メートルほどの東西に長い丘陵に位置しているため、この坂が古くから本堂・金色堂へと参拝する人々の表参道として利用されて来ました。


月見坂と彫られた石碑があります。

数百年くらいは経過してるかもしれませんね。


参道をのぼり始めると、両脇には江戸時代に伊達藩によって植樹された
樹齢300年を数えようかという幾本もの老杉が木陰を作り参拝客を迎えますが、
照度不足で撮影の写真がピンボケになることもあります。。ε-(*´ω`*) ハッハッ


今回の撮影でも半分の写真が照度不足でピンボケになっていました。

木の陰でピンボケになりやすい、魔のゾーンに突入です。
月見坂から少し左にそれて、月見坂・八幡堂に参拝です。

下に見えるのはお蕎麦屋「義家」さんです。


昨年の訪問時には休店でしたが今回は繁盛してます。(^_^)/


月見坂・八幡堂が見えて来ました。 その前に、n[◎]コω・`)パシャッ! 


歴史的なセレモニーが書かれている看板を、 n[◎]コω・`)パシャッ! 

八幡堂の由来が書かれてます。八幡堂が作られたのは、
天喜5年、西暦にして1057年と言われています。

その当時、鎮守府将軍と呼ばれた源頼義とその子供の義家が安倍氏を討つために、ここ中尊寺、月見坂に造られたのお堂で勝利祈願をしました。そのために建てられたのが八幡堂と言われてます。

ここが撮影のベストポジション、 パシャッ! Σp[【◎】]ω・´)


昨年の訪問時にはお堂の扉が閉じられていましたが、今年は大丈夫です。

                  ポィッ (*´-ω-)ノ⌒ |//賽銭箱//| 八幡堂 |

お堂に近づくと胸がわくわくして来ます。


お堂は小さいですが、中には弓を持ち馬に乗る武神様が祀られています。
右隣におられるのが阿弥陀如来かも知れません。


今年も参拝に来れて良かったです。

社殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行2間、正面1間向拝付き、

外壁は真壁造り板張り。


とても小さなお堂、ここが源義家が父と参拝した歴史的な場所です。
この時が、前九年の役・後三年の役の始まりの瞬間ではと自分は考えます。


2021年10月5日の記事にこの当時の時代背景が書かれています。


源頼義の陸奥守着任
1051年(永承6年)鬼切部合戦で安倍軍に大敗し
た朝廷側は、阿倍の力に脅異を覚え、それを抑える
ために武将・源頼義を陸奥守に任じました。翌年5月、
頼義は、3000もの武装兵を従えて国府多賀城に到着
しました。戦を避け、和議に持ち込みたいと考えて
いた藤原経清は、頼義の着任を緊張をもって迎えます。
頼義は、息子の義家を伴って下向していました。
このとき14歳だった義家は、後々まで陸奥と深く
関わっていきます。

椅子に座る源頼義と傍に控えている14歳の若武者、源義家


八幡堂付近の地図とグーグル地図です。



2023年12月30日
ご訪問、ありがとうございます。<(_ _)>



中尊寺「月見坂・八幡堂」
所在地・〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関43−43−1
本 尊・阿弥陀如来尊像
創 建・天喜5年(1057)

2023年12月30日 更新
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