まぁ坊の気ままな旅日記

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「天台宗 別格本山 毛越寺・曲水の宴」藤原氏三代の栄華を偲び再現されました。

[2020マッシュ秋旅]2020,年10月5日 岩手県・西磐井郡平泉町
「天台宗 別格本山 毛越寺・曲水の宴」藤原氏三代の栄華を偲び再現されました。


2020年10月5日
築山から開山堂(かいさんどう)に向かいます。


開山堂(かいさんどう)です。ピンボケ写真しかありません。(^_^;)
毛越寺開山、慈覚大師円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日
(864年2月24日))をおまつりするお堂で他に両界大日如来像、藤原三代の画像
を安置しています。


奥州藤原氏三代の肖像。(毛越寺所蔵)岩手県西磐井郡平泉町平泉志羅山
上が藤原清衡、向かって右が藤原基衡、左の法体姿が藤原秀衡


ついに念願の遣水(やりみず)に到着です。

遣水(やりみず)
この遣水は、庭園の発掘調査中に往時の姿のままに発見されたもので、
遣水の遣溝は奈良の宮跡庭園(きゅうせきていえん)を除いては例が無く、
平安時代の遣溝としては唯一のものである。遣水は池に水を取り入る
水路であり、玉石(たまいし)を底に敷きつめ、流れには水越し、
水切りの石、その他水の曲がり角や池への注ぎ口に石組を配する
など平安時代の指導者「作庭記」の様式を余すところなく伝えている。
その美しい流れとせせらぎは浄土庭園に風雅な趣を添えており、
「曲水の宴」の舞台ともなる。

パンフレットに毛越寺「曲水の宴」の写真があります。

毛越寺「曲水の宴」は、昭和61年5月18日藤原秀衡公八百年御遠忌特別
大祭の記念行事として、藤原氏三代の栄華を偲び再現されました。
曲水の宴とは、遣水の流れに盃を浮かべ、流れ来る間に和歌を詠み、
終って盃を戴くという、中国から伝わった催しで平安時代に盛んに
行われました。
当時の曲水の宴で講師をつとめられた坊城俊民氏(堂上華族の嫡子・披講会会長)
はその様子を、「桃の枝に羽觴みちびく童さび小袿狩衣おのおの歌詠む」と詠じ
られました。


常行堂(じょうぎょうどう)が見えて来ました。

常行堂(じょうぎょうどう)
享保重十七年(1732年)に再建された建物で、本尊は宝冠阿弥陀如来、脇士は四菩薩、
奥殿に摩多羅神をまつる。祭礼は正月二十日で、古式の法要の後「延年の舞」が神仏
に奉納される。

延年の舞の様子がパンフレットにありました。


地蔵菩薩


左側に小さなお地蔵様がいました。


常行堂前に建つ茅葺き屋根の鐘楼堂です。鐘楼堂は、1975年(昭和50年)再建で、
梵鐘は人間国宝 香取正彦氏の作。天台座主・山田恵諦の銘が刻まれています。
鐘をついている人はいませんでした。

鐘撞祈願受付所で受け付けの御坊様に御朱印はありますか?と聞くと、
御坊様は、けげんそうな顔つきで「無い」と一言。 

同じ質問の人が多いようですね。


常行堂・法華堂(ほっけどう)跡
常行三昧・法華三昧という天台宗の修行の道場です。平安時代創建のたてものは、
慶長二年(1597年)に焼失しました。


観自在王院跡(正面の園池)看板の後方に位置しています。
毛越寺を建立した基衡公、その妻が建立した大小二つの阿弥陀堂を観自在王院といいます。

州浜(すはま)
海岸の砂州を表現しており、やわらかしい曲線で入江を形作っている。
荒々しい出島・池中立石と対象させた景趣である。


池の鴨たちが寛いでいます。

手元のパンフレットを見ながら、

あらためて庭園を眺めます。

さすが、世界遺産・毛越寺。見ごたえのある探検をさせて貰いました。
(´ω`*)


2020年12月26日
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★(*>ω<[公式HP 天台宗 別格本山 毛越寺](・ω・*)★

所在地 岩手県西磐井郡平泉町字大沢58

座標: 北緯38度59分14秒 東経141度6分27秒

山号 医王山(いおうざん)

宗旨 天台宗

寺格 別格本山

本尊 薬師如来

創建年 (伝)嘉祥3年(850年)

開基 (伝)円仁(慈覚大師)

札所等 奥州三十三観音霊場 番外札所 四寺廻廊札所

文化財  特別史跡 特別名勝

毛越寺(もうつうじ)は、岩手県西磐井郡平泉町(創建時は陸奥国磐井郡平泉)に所在する、天台宗の寺院。

現在の本尊は薬師如来立像(平安時代後期の作。脇侍は日光菩薩・月光菩薩)。

建築は平安様式。

境内は「毛越寺境内 附 鎮守社跡」(もうつうじけいだい つけたり ちんじゅしゃあと)として国の特別史跡、庭園は「毛越寺庭園」(もうつうじていえん)として特別名勝に指定されている。2011年(平成23年)6月26日、「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。平泉中尊寺、松島瑞巌寺、山形立石寺と共に「四寺廻廊」という巡礼コースを構成している。

白鹿伝説

寺伝によると嘉祥3年(850)慈覚大師が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。

ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちておりました。

大師は不思議に思いその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっておりました。

大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、

一人の白髪の老人が現われ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。

大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました。

これが毛越寺の起こりとされます。


御 朱 印
令和2年(2020年)10月5日 参拝


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